名前 |
万年味右衛門 |
よみ |
まんねんみえもん |
生年 |
生年不詳 |
没年 |
文久二年五月九日(一八六二) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩合薬調合師 |
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略歴 |
家祖の万年味右衛門は酒井忠勝の代に仕え狩川通の代官をつとめる。また通行の便を計るため青龍寺川に万年橋を架けたと伝えられる。延宝6年(1678)藩、3代目の又八郎は銃砲薬煎合役を命ぜられて、以来幕末まで代々これを世襲した。10代日金太夫のとき一度家名断絶となったが、11代目味右衛門は安政2年(1855)12月再興を許されて合薬調合師として仕える。安政6年(1859)6月19日合薬調合所で発生した爆発事故により妻は爆死、文久2年(1862)5月8日再度の爆発で味右衛門は重傷を負い翌日死亡した。(庄内人名辞典より)
墓碑銘は「天瑞明壽居士」
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万年味右衛門墓所 |
万年味右衛門の墓 |
ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
万年橋 |
山形県
鶴岡市
新海町
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万年家初代味右衛門により架けられたという万年橋。
近くに屋敷があった。
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