名前 |
松木侠 |
よみ |
まつきたもつ |
生年 |
明治三十一年三月九日(一八九八) |
没年 |
昭和三十七年七月十一日(一九六二) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
政治家 |
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略歴 |
官吏松木清直の3男。西田川郡大宝寺村(現在の鶴岡市大宝寺)で生まれる。大正5年(1916)荘内中学校を卒業し、仙台の旧制二高に入学、大正11年(1922)東京帝国大学法学部ドイツ法律科を卒業する。同年5月満州に渡って南満州鉄道株式会社に入社し、昭和6年(1931)8月上海事務所に転任し、10月非役関東軍法律顧問となる。翌年3月満州国の建国とともに迎えられて同国の法制局長に就任、大正9年7月まで欧米各国に留学して法制を研究。昭和13年(1938)参議府秘書局長、次いで総務庁次長、審計局長官を歴任し、昭和19年10月大同学院長となる。終戦によって満州国が滅亡すると日本に帰国、昭和21年から東京で弁護士を開業する。昭和29年2月鶴岡市長国井重典が死亡したあとをうけて鶴岡市長に選出される。1町9か村の鶴岡市への合併、次いで第1次、第2次の衛生環境整備および港湾・産業・土木等の5か年計画を策定、精力的にこれを推進したが、在任8年余で病を得て現職で死亡した。(庄内人名事典より)
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松木侠墓所 |
松木侠の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
足達兼一郎 |
後任市長 |
大正期〜昭和期の官吏、9代目鶴岡市長 |
山形県東田川郡余目町 |
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国井重典 |
前任市長 |
大正期〜昭和期の官吏、7代目鶴岡市長 |
山形県鶴岡市 |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
鶴岡市役所 |
山形県鶴岡市
馬場町9-1 |
昭和29年2月から昭和37年7月まで8代市長を務める。 |
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