名前 |
深沢万 |
よみ |
ふかざわよろず |
生年 |
文化六年(一八九〇) |
没年 |
明治三年一月二十三日(一八七〇) |
場所 |
名古屋市天白区 |
分類 |
尾張藩士 |
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略歴 |
通称は新平、尾藩の士にして、禄百石を食む。少壮学を好み、冢田大峯の教を受く。藷職を歴て、川並奉行と為り、北方代官を兼ぬ。時に藩主慶勝を江戸の別邸に幽閉す。地方の民之を尾張に迎へんことを請願して止まず。萬、依りて之を藩庁に申達す。当路万を招きて其事情を問ひ、其諭して却けざりしを詰責す。万、毅然として答へて曰く、人心の帰する所此の如し。之を諭すも効なし。且つ下情を上達せざるは忠ならざるなりと。藩議、此請願を以て萬の使嗾に出づると為し、職を免じて終身禁錮す。後禁を解かれて職に復し、大代官・木曽材木奉行・留書頭・勘定奉行等に歴仕し、到る所に治績あり。明治二年、名古屋藩権少参事に任ず。明治三年正月二十三日卒す。享年六十二。恭順院謙山養護と諡す。(名古屋市史)
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深沢万の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
冢田大峰 |
師 |
江戸中期〜後期の漢学者、寛政の五鬼 |
名古屋市千種区 |
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