名前 |
酒井忠純 |
よみ |
さかいただひさ |
生年 |
明治十九年八月二十五日(一八八六) |
没年 |
昭和三十九日七月五日(一九六四) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
銀行家・考古学研究家 |
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略歴 |
幼名は徳太郎、号は松堂。庄内藩主酒井忠宝の長男として鶴岡郊外大宝寺村で生れる。主に金融界で活躍し、昭和14年(1939)9月、菅実のあとを受けて六十七銀行頭取に就任し、六十七銀行は昭和16年(1941)4月に合併して荘内銀行となったとき、その初代頭取に就任する。戦後は昭和25年(1950)に致道博物館が創設されるに当って協力し、その後の発展にも貢献している。また、若い頃から考古学に興味をもち庄内各地を踏査して史料の収集につとめ、昭和26年から実施された県内考古学研究家による吹浦遺跡、つづいての玉川遺跡の学術調査では考古学者八幡一郎および江坂輝弥の協力を得て調査の中心となる。その後も長年にわたり遺跡・遺物の調査と保存につとめ、庄内民俗学会会長、山形県文化財保護協会理事などを歴任している。享年77。共著として「吹浦遺跡」がある。(庄内人名事典より)
墓碑銘は「酒井忠純命之墓」
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酒井忠純墓所 |

酒井忠純の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
江坂輝弥 |
協力 |
昭和期〜現在の考古学者、「縄文土器文化研究序説」 |
現在も一線で活躍 |
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斎藤芳吉 |
玉川遺跡 |
大正期〜昭和期の文化財研究家 |
山形県東田川郡羽黒町 |
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酒井忠宝 |
父 |
明治時代の大名、出羽庄内藩十四万石酒井家12代、華族(伯爵)、鶴岡藩(のち大泉藩)知事 |
山形県鶴岡市 |
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菅実 |
銀行経営 |
明治期〜昭和期の銀行家 |
山形県鶴岡市 |
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八幡一郎 |
協力 |
昭和時代の考古学者、日本考古学協会委員長 |
情報求む |
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ゆかりの地リンク |
場所 |
住所 |
説明 |
写真 |
致道博物館 |
山形県鶴岡市 |
創設に寄与 |
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吹浦遺跡 |
山形県飽海郡遊佐町 |
遺跡調査を行う。 |
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玉川遺跡 |
山形県東田川郡羽黒町 |
遺跡調査を行う。 |
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