不二廼舎高根。氏は大口、通称は六兵衛、名古屋門前町の醴屋にして、三国一と称せり。其家本伏見屋と称する木綿問屋なりしが、高根の祖父大大黒といへる者、歌・俳諧、茶・挿花等に耽りて、家産を治めず、遂に醴店を開くに至れり。高根痘痕満面、風貌太だ揚らずといへども、人と為り滑稽諧謔、多芸多才にして歌舞音曲に通じ、俳諧、狂歌、情歌を善くす。明治九年の比愛岐日報社に在りて記事を擔当し、後柳新紙、転愚叢談等を発刊して滑稽文学を弘む。傍脚本小説を筆し、花柳界の新年の唄、舞踏歌等の新作、凡其手を煩はさゞるはなし。又同癖の者と共にお洒落会を起し、飄逸なる生活をなす、其俳号を芙山といひ、不二廼舎高根と号するは皆三国一の名に因めるなり、明治三十九年九月十八日、年六十にして没す。法号を不二庵真諦巨霊居士といふ。其辞世に曰く、「死んでゆく先樣次第どふなるかとんと知らぬが仏なりけり」。(名古屋市史より)
墓碑銘は「不二庵真諦巨霊居士」。辞世の歌が刻まれている。
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