人物総覧 い
 庄内藩 俳人

名前 伊東不玉
よみ いとうふぎょく
生年 慶安元年(一六四八)
没年 元禄十年五月三日(一六九七)
場所 山形県酒田市
分類 医家・俳人
略歴

 玄順・潜淵・淵庵。医師伊東是久の長子として酒田に生れる。寛文10年(1670)京都に上り長井宗朔のもとで医学を学ぶ。天和3年(1683)伊勢の俳人大淀三千風が仙台の住居を捨てて全国行脚の途中酒田の不玉を訪ねると、五大堂で句会を開き、元禄2年(1689)6月松尾芭蕉が奥の細道をたどって酒田に来た折にはその宿をつとめて親交を結ぶ。元禄5年には各務支考を迎え、羽黒の呂丸とともに象潟に遊んで酒田美濃派をひらく。著書「継尾集」「着の松原」。(庄内人名事典より)
 墓は再建されたもので、墓碑銘は「玖心院玄順日慰」、側面に「坊主子やあたまうたるる初雹」の句が彫られている。

伊東不玉墓所

伊東不玉の墓

伊東不玉の墓(側面)

伊東不玉の墓(側面:碑文)
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
伊東祐勝 江戸時代前期〜江戸時代中期の庄屋、俳人 山形県酒田市
大淀三千風 親交 江戸時代前期の俳人、大磯の鴫立庵を再興し初代庵主 神奈川県中郡大磯町
各務支考 親交 江戸時代前期〜中期の俳人。蕉門十哲。 滋賀県大津市
岐阜県岐阜市
三重県桑名市
河合曾良 親交 江戸時代前期の俳人、蕉門十哲。「奥の細道随行日記」 長崎県壱岐郡勝本町
長野県諏訪市
図司呂丸 親交 江戸時代前期の俳人 山形県東田川郡羽黒町
松尾芭蕉 親交 江戸時代前期の俳人、「甲子吟行」「野ざらし紀行」「おくのほそ道」「冬の日」「猿蓑」 滋賀県大津市
日本中に芭蕉塚がある


ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
不玉宅跡 山形県酒田市中町1 伊東不玉邸跡。元禄2年(1689)6月松尾芭蕉が河合曾良を伴って奥の細道をたどって酒田を訪ねたときに9泊し、数々の名句を残す。
伊東不玉句碑 山形県酒田市南新1-7-16
 日和山公園文学の散歩道
博労の泊り定めぬ秋の風
松尾芭蕉句・河合曾良・伊東不玉・玉志発句碑 山形県酒田市南新1-7-16
 日和山公園文学の散歩道
芭蕉が酒田滞在中に鐙屋で開かれた即興の発句会の時の作。

初真桑四にや断ん輪に切ん(芭蕉)
初瓜やかふり廻しをおもい出つ(曾良)
三人の中に翁や初真桑(不玉)
興にめててこころもとなし瓜の味(鐙屋)
松尾芭蕉句碑 山形県酒田市南新1-7-16
 日和山公園文学の散歩道
奥の細道の途次、酒田の不玉邸に滞在中によまれた句。

暑き日を海に入れたり最上川
松尾芭蕉句碑 山形県酒田市南新1-7-16
 日和山公園文学の散歩道
奥の細道の途次、酒田の不玉邸に滞在中によまれた句。天明8年(1788)酒田の俳人柳下舎寸昌が建立。碑面は須磨明石の俳人武然の書による。

温海山や吹浦かけてゆふ涼
玉志近江屋三郎兵衛宅跡 山形県酒田市南新1-7-16
 日和山公園文学の散歩道
玉志近江屋(鐙屋)三郎兵衛邸跡
松尾芭蕉が酒田滞在中に鐙屋で即興の発句会が開かれ、不玉も参加している。
象潟 秋田県由利郡象潟町 元禄5年(1692)美濃派の開祖各務支考・羽黒俳人図司呂丸とともに象潟に遊ぶ。