名前 |
市川定吉 |
よみ |
いちかわていきち |
生年 |
明治十二年(一八七九) |
没年 |
大正十一年九月十七日(一九二二) |
場所 |
山形県酒田市 |
分類 |
医学者 |
|
略歴 |
酒田に伊藤与兵衛の次男として生れる。医師を業とする市川家の養子となり、上京し東京帝国大学に進学、卒業して医師、北里細菌研究所勤務を経てのちに大阪桃山病院長となる。明治45年(1912)ドイツに留学し、腸チフスを研究する。チフスワクチンに関する論文で医学博士となるが、腸チフスの治療中これに感染して死亡する。葬儀は大阪市葬となった。俳句を趣味とし、正岡子規に師事した俳人としても著名。享年44。(庄内人名事典)
|
市川定吉の墓 |
市川定吉の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
正岡子規 |
師事 |
明治期の俳人、歌人、俳句の革新運動を展開し、ホトトギスを創刊 |
東京都北区 愛媛県松山市 |
|
|
ゆかりの地リンク
|