名前 |
市川甚左衛門 |
よみ |
いちかわじんざえもん |
生年 |
延宝七年八月二十七日(一六七九) |
没年 |
宝暦七年四月二十三日(一七五七) |
場所 |
名古屋市天白区 |
分類 |
尾張藩士・木曾材木奉行 |
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略歴 |
名は正好。宝永3年木曾元詰、翌年木曾山を支配する上松奉行となる。享保5年から水奉行を兼任し、享保9年裏木曾の代官に転じる。元文5年再度上松に移り、初代木曾材木奉行となる。以後延享2年に岐阜奉行となるまで40年近く木曽の山林政策にかかわる。乱伐、盗伐により荒廃していた木曾山を復興するために、木曾口五木(檜、高野槇、明日檜、さわら、鼠子)の伐採禁止の徹底、明山と留山を区別する新囲いの制を開始する。甚左衛門の政策は木曾山住民の激しい怨みをかったが、山林資源の復興・保存は成功。甚左衛門の功績により、現在、木曾山は全国有数の国有林として評価されている。(三百藩家臣人名辞典)
墓碑銘は「正好院遣誉道仰居士」。
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市川甚左衛門墓所 |
市川甚左衛門の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
徳川継友 |
主君 |
江戸時代中期の大名(尾張藩)、6代藩主。 |
名古屋市東区 残骸のみ 遺骨は瀬戸市 |
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徳川吉通 |
主君 |
江戸時代前期〜中期の大名(尾張藩)、4代藩主。 |
名古屋市東区 残骸のみ 遺骨は瀬戸市 |
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