人物総覧 い
 庄内藩

名前 石原平右衛門
よみ いしわらへいえもん
生年 慶長十二年(一六〇七)
没年 元禄三年十二月十日(一六九〇)
場所 山形県鶴岡市
分類 庄内藩家老
略歴

 三河国吉田以来の家老の家柄である石原平右衛門家に3代重秋の子として生まれ、源内、重則と称した。酒井家の庄内入部とともに一千石を加増され二千三百石となった。平右衛門は祖父河内が没した時、五百石を分与された。寛永15年父とともに家老に任ぜられ、正保3年父の隠居に従って家禄二千三百石を継いだ。延宝の頃、郡代高力忠兵衛が財政強化のため農民に新法を実施し、苛政が多かったので農民の恨みの的となり、天和元年中川通の農民によって幕府の巡検使に訴えられ、藩は苦境に立たされた。平右衛門は藩主忠義に具申し、高力忠兵衛を郷入りに処し、事件を処理し藩政の刷新に努めた。天和2年大洪水で酒田蔵の米三万俵が水浸しになった時、重則は他国の商人へ売り渡したものも全部藩の損失としたので、庄内米の声価はさらに高まった。初代忠勝から、忠当、忠義、忠真までの4代の藩主に47年間家老として仕え、貞享元年致仕した。老年には城中で頭巾を許されて「頭巾被り平右衛門」と呼ばれた。隠居後は五百石の隠居扶持を与えられた。元禄3年84歳で没した。長男刑部左衛門が不行跡であったので、次男半助を嫡子に定めたが、半助が乱心自殺したので、その子専之助(平右衛門重寛)に一千七百石を与えて宗家を継がせ、刑部左衛門の子伊兵衛主馬に六百石を分与した。(庄内人名事典より)

石原平右衛門墓所

石原平右衛門重則の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
石原平右衛門 曾祖父 戦国時代の武将、江戸時代初期の庄内藩家老、道秀、石原平右衛門家の祖 山形県鶴岡市
石原平右衛門 江戸時代中期の庄内藩家老、要人 山形県鶴岡市
石原平右衛門 江戸時代初期の庄内藩家老、重秋 山形県鶴岡市
石原平右衛門 祖父 江戸時代初期の庄内藩家老、河内 山形県鶴岡市
酒井忠勝 主君 江戸時代初期の大名、越後高田藩、信濃川中島藩、出羽庄内藩十四万石酒井家初代 山形県鶴岡市
酒井忠真 主君 江戸時代初期〜中期の大名、出羽庄内藩十四万石酒井家4代 山形県鶴岡市
酒井忠当 主君 江戸時代初期の大名、出羽庄内藩十四万石酒井家2代 山形県鶴岡市
酒井忠義 主君 江戸時代初期の大名、出羽庄内藩十四万石酒井家3代 山形県鶴岡市

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