人物総覧 い
 庄内藩 各種工藝

名前 池田一秀
よみ いけだかつひで
生年 安永二年(一七七三)
没年 天保十二年五月八日(一八四一)
場所 山形県鶴岡市
分類 刀工
略歴

 清内・勝秀・龍軒入道。刀工。飽海郡観音寺村(現在の八幡町地内)の鍛冶職池田家3代伝兵衛(富一)の次男として生れ、文化2年(1805)山形城主秋元但馬守召抱えの赤湯の刀匠水心子正秀(川辺儀八郎)が庄内来遊の折に入門して鍛刀の技を会得する。同年庄内藩に召出されて3人扶持を給され鶴岡に居住、のちに水心子の高弟水生子照秀を招いて近郊井岡で修業した。文化5年(1808)剃髪して龍軒入道と号し、同7年(1810)一代御職人、加増を重ねてのち10人扶持となる。文政2年(1819)米沢藩の刀工加藤助四郎(銘、宝寿)について技を磨き、天保11年(1840)8月老年のため家業を2代目一秀(清蔵、一義、嘉永元年4月14日42歳で没)に譲って隠居した。69歳で没し、鶴岡禅竜寺に葬られる。3代目一秀は江戸に上って鉄砲鍛冶を兼ねた。代々一秀と名乗って鶴岡八日町に住み、明治以隆は鍛冶屋を業とする。「池田龍軒之墓」(庄内人名辞典より)

池田一秀墓所

池田一秀の墓
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
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水心子正秀 江戸時代中期〜後期の刀工、復古刀を提唱 東京都新宿区