名前 |
伊黒定十郎 |
よみ |
いぐろていじゅうろう |
生年 |
文政八年(一八二五) |
没年 |
安政五年十二月七日(一八五八) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩士 |
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略歴 |
喜兵衛。庄内藩物頭久留多門の次男。のちに伊黒定右衛門の養子となる。嘉永2年(1849)3月藩世子酒井忠恕の近習に選ばれたが安政5年(1858)11月忠恕は20歳で急逝する。定十郎は同僚近習の不忠を憤り、遺書を認めて江戸藩邸御次休息所で自刃した。享年34。跡式半知80石をその実子に給与、遺骸は忠恕墓側に葬られ、のち鶴岡に移される。父の久留多門は後年に庄内松山藩主酒井忠良付となって江戸に在勤したが、自責の念より元治元年(1864)藩邸長屋で自刃し、親子ともに忠誠の士と称えられた。(庄内人名事典より)
墓碑銘は「伊黒定十郎墓」
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伊黒定十郎墓所 |
伊黒定十郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
久留多門 |
実父 |
江戸時代後期の庄内松山藩士、自刃 |
東京都台東区 |
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酒井忠恕 |
主君 |
江戸時代後期の庄内藩世子、急逝 |
山形県鶴岡市 |
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