人物総覧 あ 武将 尾張藩

名前 朝岡重政
よみ あさおかしげまさ
生年 天正九年(一五八一)
没年 寛文三年十二月十八日(一六六三)
場所 愛知県名古屋市天白区
分類 戦国武将
略歴

 平兵衛と称す。父重恒と共に武勇を以て称せられ、偕倍に松平忠吉に仕ふ。関ケ原の役忠吉部下驍勇の士廿四人を選抜し、之を率ひて先登す。重恒、重政父子之に与る。人以て栄となす。重恒命に依り金弩瓢を重政に譲る、金弩瓢は矢を盛る器にして特に貴重の物たり.重政之を負ひ、射て敵の驍騎を倒す、家康大に之を賞し、自ら金弩瓢に天下一人と書して之を給ふ。是より人朝岡氏を呼ぶに金弩瓢を以てし、天下復之を用ふることを得ず。慶長十二年忠吉の命を受け、京都三十三間堂に鏃矢五十一本を射て、悉く之を徹す。依て天下一の称を得たり。忠吉卒して後義直に仕へ、寛文三年十二月十八日を以て没す、享年八十三、法諡して了空院殿覚誉浄正居士といふ。(名古屋市史)
 墓碑銘は「覚誉浄正居士」。


朝岡重政墓所


朝岡重政の墓

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名前 関係 補足 墓所 写真
松平忠吉 主君 織豊〜江戸時代初期の武将、大名、徳川家康の四男 名古屋市千種区
愛知県豊田市

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