名前 |
豊竹鐘太夫 2代 |
よみ |
とよたけかねたゆう |
生年 |
不詳 |
没年 |
不詳(文化年間:墓は文化十一年八月十九日) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
浄瑠璃太夫 |
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略歴 |
通称は重兵衛。大坂に生まれる。師は義太夫節の2代豊竹此太夫。豊竹伊太夫、竹本鐘太夫をへて、寛政3年(1791)2代豊竹鐘太夫を襲名。北堀江市の側の芝居で立者をつとめる。文化(1804〜18)の末年に没したといわれる。(日本人名大辞典より)
墓碑銘は正面に「俗名 豊竹鐘太夫」、側面に「文化十一年八月十九日没」
この墓が2代目豊竹鐘太夫本人のものと断定していいのか私には判断できない。
出典元は記憶の彼方に吹っ飛んでしまったのであまり自信はないが、2代目鐘太夫は庄内地方で亡くなったと本で読んだ記憶がある。情報をお持ちの方はご助力をお願いしたい。
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豊竹鐘太夫の墓? |

豊竹鐘太夫の墓(側面) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
豊竹鐘太夫 |
先代 |
江戸時代中期の浄瑠璃太夫、初代。鐘太夫風といわれる語り口をのこす。 |
大阪市中央区
大阪市生野区 |
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豊竹此太夫 |
師 |
江戸時代中期〜後期の浄瑠璃太夫、2代。操座。豊竹座を再興。 |
大阪市天王寺区 |
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