名前 |
中條康永 |
よみ |
ちゅうじょうやすなが |
生年 |
生年不詳 |
没年 |
文政七年一月十三日(一八二四) |
場所 |
名古屋市天白区 |
分類 |
尾張藩城代 |
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略歴 |
藩主徳川宗睦・斉朝に仕える。通称は多膳、号は勲章。近江大溝藩主分部光命の五男として生まれる。尾張藩士中条東四郎康隆の養子となり禄高一千五百石を継ぐ。武道に達し、狂った猪を乗り伏せたことから、今仁田と称された。城代をつとめ、台車つきの大砲を工夫した。また、狩野派の画法を学び、城内の黄金水で雲竜を描いた。(三百藩家臣人名事典)
墓碑銘は「康永院殿性誉智哲廓英居士」
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中條家墓所 |
中條康永の墓 |
千村夢沢の墓(接近) |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
中條康隆 |
養父 |
江戸時代中期の尾張藩士 |
名古屋市天白区 |
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徳川斉朝 |
主君 |
江戸時代後期の大名(尾張藩)、10代藩主 |
名古屋市東区 残骸のみ 遺骨は瀬戸市 |
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徳川宗睦 |
主君 |
江戸時代中期の大名(尾張藩)、9代藩主。藩校明倫堂を創設 |
愛知県小牧市 |
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分部光命 |
父 |
江戸時代中期の大名(近江大溝藩)、6代藩主 |
滋賀県高島郡高島町 |
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