人物総覧 お 戦国武将 土佐藩

名前 織田信安
よみ おだのぶやす
生年 生年不詳
没年 天正十九年十月二十四日(一五九一)もしくは
慶長十六年十一月二十七日(一六一一)
場所 名古屋市千種区
愛知県岩倉市
高知県高知市
分類 戦国武将
略歴

 伊勢守と称し、父織田敏信の跡を受けて尾張の岩倉城になり、尾張八郡の上四郡を領し上の織田氏と言われる。清洲城主織田信長に攻められ、このとき旗下の山内一豊の父盛豊(黒田城主)は討死し、幼年の一豊は岩倉城主信安を頼って行ったが岩倉城も攻略された。信安・一豊らは離散流転した。のち信安は一豊を頼って掛川に行き、一豊が土佐に入国すると土佐に移り優遇された。高岡郡戸渡で二百石を与えられ余生を送った。名古屋と高知で没年が大幅に異なる。
 墓碑銘(名古屋)「松岳院殿大渓玉甫大居士」
 墓碑銘(高知市)「読みとれず」、戒名は龍潭寺殿大清常允大居士、没年は慶長十六年十一月二十七日と過去帳にある。
 他に愛知県岩倉市に昭和39年に名古屋市から移された墓がある。現在名古屋にある墓はおそらく再建されたもの。
織田信安−名古屋市1
織田信安墓所(名古屋市)
織田信安−名古屋市2
織田信安の墓(名古屋市)
織田信安−名古屋市1
織田信安墓所(岩倉市)
織田信安−名古屋市2
織田信安の墓(岩倉市)
織田信安−高知市
織田信安の墓(高知市)
昔は土佐史談会がたてた案内板があるはずだが見あたらない。
  
ゆかりの人物リンク
名前 関係 補足 墓所 写真
織田松岳院 美濃岩倉城主織田信安の室。 愛知県岩倉市
名古屋市千種区
織田敏信 戦国武将、美濃岩倉城主。 情報求む
織田信清 戦国〜織豊時代の武将、織田信康の子。 情報求む
織田信長 従兄弟 戦国〜織豊時代の武将、室町幕府をほろぼすが天下統一寸前で戦死 愛知県西春日井郡清洲町
岐阜県岐阜市(2カ所)
静岡県富士郡芝川町
富山県高岡市
愛知県千種区
滋賀県蒲生郡安土町
滋賀県近江八幡市
和歌山県伊都郡高野町
京都市下京区
京都市北区(2カ所)
京都市東山区
京都市右京区
京都市上京区
山内一豊 旧臣 戦国時代の武将、江戸時代前期の大名、土佐高知藩主山内家初代 京都市右京区
高知県高知市



ゆかりの地リンク
場所 住所 説明 写真
岩倉城  愛知県岩倉市
 
 築城年月は不明。文明10年(1478)から織田宗家の本城。
 岩倉城主織田信安は信長に抗し、信長の弟・信行に味方するが、永禄2年(1559)落城し、廃城となった。