名前 |
岡田是行 |
よみ |
おかだこれゆき |
生年 |
嘉永六年六月二十六日(一八五三) |
没年 |
明治四十一年七月十八日(一九〇八) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
地方自治 |
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略歴 |
父は庄内藩物預岡田為弥の次男として鶴岡家中新町に生れる。兄衛士は明治元年羽後花館で戦死。兄の養子となってその家督を継ぐ。18歳のとき藩命により江戸に留学、大鳥圭介の塾に学ぶ。病を得て郷里に帰るり明治11年(1878)から朝暘学校の訓導心得などをつとめる。明治15年県会議員に当選し、私立荘内中学校の設立などに尽力する。明治22年鶴岡町会議員を兼務し、翌23年第1回目の衆議院議員選挙に立候補したが落選した。鶴岡町会議員は明治34年まで、県会議員は明治36年までつとめた。
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岡田是行墓所 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
大鳥圭介 |
師 |
幕末の幕臣、幕府歩兵奉行、維新後外交官、枢密顧問官、男爵 |
東京都港区 |
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岡田衛士 |
兄 |
幕末の庄内藩士 |
山形県鶴岡市 |
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