名前 |
朝岡助九郎 |
よみ |
あさおかすけくろう |
生年 |
享保十四年(一七二九) |
没年 |
享和元年一月二十三日(一八〇一) |
場所 |
山形県鶴岡市 |
分類 |
庄内藩家老 |
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略歴 |
良往・良惟。父は朝岡家三代与市兵衛。朝岡家四代で兄の与市兵衛(良剛の時、累達して中老となり、700石を賜った。助九郎は兄与市兵衛の養嗣子となり、安永元年兄の譲りを受けて家督を継いだ。七代藩主忠徳に仕えて組頭となり600石。天明三年中老に進んで700石となった。同八年、藩が幕府から東海道筋の河川の普請手伝いを命ぜられた時、惣奉行として功を立て、幕府から白銀三十枚・時服羽織などを拝領した。寛政元年には家老に昇進して1000石を給された。忠徳の下で家老職に在ること十二年、七十三歳で没した。嫡子文次郎が1000石の家督を継ぐ。(三百藩家臣人名事典・庄内人名事典より)
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朝岡助九郎墓所 |
朝岡助九郎の墓 |
ゆかりの人物リンク |
名前 |
関係 |
補足 |
墓所 |
写真 |
朝岡与市兵衛 |
兄 |
江戸時代中期の庄内藩家老 |
山形県鶴岡市 |
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酒井忠徳 |
主君 |
出羽庄内藩十四万石酒井家第7代、政治改革を推進、藩校致道館を開校 |
山形県鶴岡市 |
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