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掃苔総合スレッド
日時: 2003/03/11 23:52
名前: 五輪塔
参照: http://www4.airnet.ne.jp/soutai/
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/21 20:05
名前: もへい
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訂正です。

開港式典→開校式典
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/21 20:04
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

開港式典をしていてどこも行ってません。
明日が休みなので思う存分掃苔してきます。

林友幸はやはり奥さんの百合子氏を見ていて本人は伯爵でした。

今度は大崎にある養玉院如来寺に行こうとおもうのですが墓地に入ることは出来ますか?
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/20 22:28
名前: 高遠さくら
参照:
もへいさま。
今日も、どこかを廻られたのでしょうか。

まず、林友幸伯爵家に関してですが、手元にある資料を見ると、墓碑銘は下記の通りです。

「正二位勲一等伯爵林友幸之墓」 裏面「明治四十年十一月八日薨」

「正三位子爵林友幸妻百合子之墓」 裏面「明治三十二年七月四日卒 享年六十九年四月」

友幸の授爵当初は子爵でしたが、明治40年に伯爵に陞爵しています。
多分、夫人の墓碑銘に子爵(当時)あるので、勘違いされたのではと思いますが。


泉岳寺に関しては、平成の初め頃に何回か彼岸時に行きましたが、ここ10年位はまったく行っていません。
その当時はまだ毛利家の墓碑などが現存していましたが、その後、完全に廃棄されたことは、二年前の彼岸時に行った友人に聞きました。
友人も、とても調査できるような状況ではないのでと、10分ほどで墓所をあとにしたと言っていました。

彼岸時に線香をあげ、花を手向け墓参するのであれば、お寺としても檀家以外の者であっても、お参りすることを拒むことはないと思います。
ただ、前述の様に調査目的と疑いかねない行動をすると、元来、調査に関しては否定的ですので、退去を命ぜられても文句は言えません。
くれぐれも、マナーを守り一家のみの墓参であれば、大目に見てくれるのではと思いますが、何とも言えません。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/20 20:06
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

林友幸の墓碑銘に子爵と書いてあったのでそう思ってしまいました。

高遠さくらさまも挑戦したことがあるのですか?
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/19 22:27
名前: 高遠さくら
参照:
もへいさま。

確かに、もへいさま言われるとおり四條男爵家の墓域は、林友幸(子爵ではなく伯爵です)の墓域の後方になりますね。
やはり、改葬でしょうか。

泉岳寺の墓所へは、彼岸やお盆の期間は開門されていますので、檀家に交じって入ることが可能です。
しかし、墓地内では、寺の関係者が花や線香を販売しており、ウロウロと墓碑の写真などを撮っていると、すぐに寺の許可をとったのかと確認にくるので、目的の墓所(浅野長直)だけに花や線香をあげつつ写真を撮り、10分程度で墓地を出られれば大丈夫だと思います。

浅野長直の墓所は、墓地に入り、そのまま直進した左側にあります。
くれぐれも長居は、しないようにお気をつけください。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/19 20:00
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

確か林友幸子爵家の近くだと思いましたが。

泉岳寺の墓所内部の見学が出来ないのは残念です。
浅野長直公の墓石を拝見したかったのですが・・・。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/19 19:06
名前: 高遠さくら
参照:
もへいさま。

四條男爵家の墓所地は、松方公爵家の墓所地から10mほど右側になりますが・・・

泉岳寺にある大名墓ですが、残念ながら現在では、その多くが無縁墓として廃棄されています。
長府藩毛利家、大田原藩大田原家、日出藩木下家なども影も形も無くなってしまったようです。
一度、改修されたと思われますが、芝村藩織田家の墓所のみ完全に残されているようです。

福知山藩朽木家、山家藩谷家、田原本藩平野家などは、すでに改葬されているので、現存していると思います。

墓地内の調査及び見学は、今後も不可能だと思われます。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/19 08:28
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

情報ありがとうございます。
四条隆平男爵家らしき墓碑が見つかりませんでした。

最近、泉岳寺にいってきて、一般墓所の中に入れて欲しいと嘆願しましたが入れてくれませんでした。
墓所には数々の大名家の墓所になっているので是非入れるようにして頂きたいと思いました。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/18 20:44
名前: 高遠さくら
参照:
もへいさま。

青山霊園の四條隆平男爵家の墓所を、最近見ていないので何とも言えませんが、墓所の改修工事とは異なるのでしょうか?

もし、改葬であるのであれば、多分、二尊院と思います。
先週、二尊院へも行きましたが、同寺にある四條男爵家の墓所は見ていないので、詳細はよくわかりません。
二尊院の墓碑は、大きな石円墳です。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/18 17:39
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

すいませんでした。また間違えてしまいましたね。

今回の京都は時折突然の大雨でほとんど回りきれませんでした。徳大寺家の墓碑なら曲直瀬道三の墓碑のあるお寺にありました。

最近質問が多くてすみません。青山霊園に四条隆平の墓碑があると聞いたので行ってみたのですが、存在せずそれどころかその場所で工事をしていました。隆平の墓所はどこにいったのでしょうか?
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/17 23:01
名前: 高遠さくら
参照:
もへいさま。

真如堂と光明寺は、ほぼ隣接していますね。
中院伯爵家や三井男爵家の墓所は真如堂に、徳大寺公爵家の墓所は光明寺になります。
ご参考までに、徳大寺公爵家の江戸期の墓所は、十念寺というお寺です。

青山霊園内の松平慶憲は、明石松平子爵家です。
同所は、明治後の同家の墓所地ですが、先代の尚次郎のみ国許の菩提寺である長寿院にも分骨墓が建造されています。

余談ですが、中御門家は伯爵ではなく侯爵です。
江戸期の墓所は、今夏のもへいさんの予定にも入っていた百万遍の知恩寺です。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/17 21:53
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

五輪塔さまが書き込みされてましたか。
すいませんでした。
徳大寺家も黒谷でした。黒谷と真如堂の区別を間違えてしまいました。

ついこの前青山の善光寺に行って中御門伯爵家や甘露寺家や勘解由小路家の墓石なども拝見しました。

一つ質問なんですが、その松平家数基の中に松平慶憲という墓碑があったのですがどこの一族か判りますか?
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/15 22:21
名前: 高遠さくら
参照:
もへいさま。

稲葉子爵家の墓所の管理が会津松平家になったということは、以前、五輪塔さまの書き込みで知りました。

黒谷の徳大寺公爵家の墓所へも二年振りに行きましたが、墓域内は雑草だらけでした。
江戸期の墓所へも行きましたが、ここも雑草だらけでした。
本当に、雨が降ると予定が狂ってしまいますね。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/15 12:50
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

最近青山霊園や東京文化財ウィークに命を懸けていました。
青山霊園の淀藩稲葉家の合葬墓のところに「稲葉家は断絶して保科松平家が管理する」と書いてあり驚きました。青山霊園に松平家の墓碑が数基あったのですが分かりますか?

真如堂の件については中院家はその日大雨が降ったので墓碑の散策が思うようにいきませんでした。
ので大名墓数基と徳大寺家の墓碑等を発見出来ました。次回リベンジしたいと思っています。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/14 22:16
名前: 高遠さくら
参照:
もへいさま。
お久しぶりです。

私も当初、天祥寺ではと思ったのですが、書き込みの通り同寺の子爵家の墓碑には納骨されておらず、ご住職も不詳とのことでした。

先週、二年振りに真如堂へ行ってきました。
中院伯爵家の墓所では、先代当主・泉氏の死去にともない新墓が建造されていました。
確認されましたか?
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/14 14:10
名前: もへい
参照:
高遠さくらさま。

松浦子爵家の墓所と言ったら江戸期は麻布光林寺、
明治以降は墨田区にある天祥寺に合葬墓があります。
染井霊園にも子女の墓が数基あるとおもいますが。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/14 01:53
名前: 高遠さくら
参照:
五輪塔さま。

大石寺の情報ありがとうございます。
板倉家の墓碑があるというのは初耳です。
天英院とともに向島の常泉寺がらみですね。


実は、私が調査中なのが、旧平戸新田藩松浦靖子爵の女・董子の墓所地です。
董子は、久邇邦久侯爵の夫人でしたが、離縁されています。
晩年は、足立区竹の塚の安アパートに住まわれ、ご苦労されたようです。

当初、実家である松浦子爵家の菩提寺に埋葬されたのではと思ったのですが、お寺に行きましたが、納骨されてなく、ご住職も不詳とのことでした。
また、本家である松浦伯爵家のご当主とお会いした時にもお聞きしましたが、子爵家との交流は無く、不詳とのことでした。
その後、董子が日蓮正宗の信者?だったという話を聞き、大石寺ではと思った次第です。

もし、松浦董子の墓所地に関して、何か情報があれば、宜しくお願いいたします。
とりあえず、大石寺には行ってみるつもりです。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/14 01:20
名前: 高遠さくら
参照:
昨日の午後、二ヶ月振りに本門寺へ行ってきましたが、心配していた白河阿部家の墓域周辺の工事もすでに終了していました。

阿部家の墓所は当時のまま残されており、その後方と崖下一帯を新たに分譲するようです。
単純に考えれば、阿部家の墓域を縮小集積すれば、もっと多く分譲できたのに、と思いつつ、現状のまま残されたことは嬉しい限りです。


佐多さま。

妙源寺にあった二基の島津家の墓碑ですが、現在、墓石の廃棄も可成りの出費ですので、多分、墓地内の一角にあると考えられる無縁墓地に集積されているのではないでしょうか。

私も、よく、無縁集積墓地も確認するようにしていますが、時々、新発見があったりします。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/14 01:08
名前: 五輪塔
参照: http://www4.airnet.ne.jp/soutai/
高遠さま、書き込みありがとうございます。

一般墓地には病理学者の清野謙次、俳優の赤木圭一郎の墓があるらしいですが、どちらもわかりませんでした・・・

その他、奉安堂入口に熱原法難三烈士、御影堂裏にお虎の方(蜂須賀至鎮室)など5基、大石寺五重塔敷地内に戸田城聖、天英院(徳川家宣正室)、納骨堂裏の通称大名墓地には備中松山藩(板倉勝澄他)、加賀大聖寺藩(前田利極、前田利義夫妻他)、寛永寺灯籠(文恭院殿)1基などがあります。



お出かけするときはいつも始発です。最近は早起きができなくなってきたので、いつも徹夜です。5時10分大船発で浜松着は9時前です。睡眠は電車でとってます。浜松あたりだと新幹線で行っても早朝は本数が少ないので着く時間は余り変わりませんね。
浜松より向こうに行くときはムーンライトながらを使うか新幹線を使うかもしれませんが。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/13 11:10
名前: 高遠さくら
参照:
五輪塔さま。

大石寺に関する情報、ありがとうございます。
広大ですか。最近では、あまり広大な墓所を探すことがなかったのですが・・・
何とか根性で見つかればいいのですが。
現在、同墓所には、どんな方の墓碑があるのでしょうか?
度々で、申し訳ありません。


ところで、浜松まで日帰りですか。

ご存知かもしれませんが、大船発、6時04分の静岡行き(静岡着、8時26分)の普通を利用されるといいですよ。
同車は、373系の特急「東海」の車両ですので快適です。
勿論、乗車券のみで乗れます。
静岡〜浜松間には、在来線に特急、快速が走っていないので、この間を新幹線利用されると、ややお得です。
ちなみに、上りは、静岡発19時35分の東京行きの普通が373系で(大船着、21時59分)、折り返し、大垣行きの快速「ムーンライトながら」になります。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/13 01:43
名前: 五輪塔
参照: http://www4.airnet.ne.jp/soutai/
高遠さま、書き込みありがとうございます。
下名は最高の季節なので休日出勤が続いて、かなりへこんでいます。(今日は久しぶりに浜松に日帰りで行って来ましたが・・・)

富士宮市の大石寺の一般墓所は自由に立ち入りできます。かなりの広さで、都内の霊園のようにブロックで分けられています。

大石寺境内にある戸田城聖氏や大名関係者の墓はイベントがあるときは立ち入りできないときもあるみたいなので、大石寺の年間スケジュールに注意しておいた方がいいでしょう。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/13 01:26
名前: 高遠さくら
参照:
北鎌倉の東慶寺さま。

大松博文氏の墓所地に関する情報ありがとうございます。
実は、東慶寺には、昨年の夏に行きました。
石段を登った上にある天秀尼と用堂尼の墓碑を見学することが目的でしたので、それ以外は何も見ていませんでした。
再度、行ってみます。


五輪塔さま。

二週間ほど地方に行っていたのですが、その間に前田大膳家の改葬先が判明し、なによりですね。

今夏、愛知県一宮市時ノ島にある熊沢家の墓所へ行きました。
墓地内のいたる所に熊沢家の墓碑が散在していましたが、残念ながらその中に寛道氏の墓碑は見当たりませんでした。

或いは、東京ではないかとも考えています。
直系?かは不明ですが、ご子孫の方は東京在住のようです。

話が変わりますが、富士宮市の大石寺の墓所へは、自由に入れるのでしょうか。
同寺に墓所があるのでは?、という方を調査中ですので。
今後も、宜しくおねがいいたします。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/13 00:07
名前: 五輪塔
参照: http://www4.airnet.ne.jp/soutai/
高遠さくらさま、いつもありがとうございます。
北鎌倉の東慶寺さま、書き込みありがとうございます。


大松博文氏は北鎌倉の東慶寺さまの書き込みの通りです。
小林秀雄氏と同じ一角にあります。

熊沢寛道氏の墓所はよくわかりません。
愛知県下をまわったとき、ずっと探していましたけど。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/12 23:21
名前: 北鎌倉の東慶寺
参照:
「東慶寺」
駆け込み寺、縁切り寺として有名。もとは尼寺(あまでら)で山号は松岡山。1285(弘安8)年に 覚山尼 が創建。覚山志道尼は北条時宗夫人で縁切寺法を作った。これは離婚希望者が東慶寺に入り、3年間修行すれば、女性からの離縁が可能となるというもので明治時代に廃止されるまで約600年間受け継がれた。後には離縁のためだけではなく、人生の悩みを持った女性も駆けこんできたといわれる。後醍醐天皇の皇女 用堂尼 が5世住職になってから比丘尼御所門席紫衣寺となり、以後松ヶ岡御所と呼ばれるようになった。
 豊臣秀頼の遺児、七歳の娘は助命されて出家し、二十世天秀尼となった。
 寺には今も当時の離縁状がたくさん残っており、本堂裏の松ヶ岡宝蔵に蒔絵の箱などとともに展示されている。
 明治になると寺法は廃止され、1902(明治35)年以降は男の住職が入山して僧寺となった。
 ウメ、スイセン、モクレン、ハナショウブ、コスモスなど花の寺としても知られる。 墓所には西田幾太郎、和辻哲郎、高見順、田村俊子、鈴木大拙、小林秀雄、織田幹雄、大松博文など有名人の墓が多くある。
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Re: 掃苔総合スレッド
日時: 2005/11/12 17:09
名前: 高遠さくら
参照:
下記方の墓所地に関して、何かわかりましたらご教示願います。

大松博文氏。  熊沢寛道氏。

旗本の朝倉家の墓碑は一基だけですが、杉並区にもあります。
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