和気清麻呂 | |||||||||||||||||||||||||||
生没年 | 天平5年(733)〜延暦18年(799) | 分類 | 公卿 | ||||||||||||||||||||||||
略歴 |
備前国藤野郡(のち和気郡)の豪族和気乎麻呂の子。姉に和気広虫(法均尼)。姉広虫と共に称徳天皇に愛され、右兵衛少尉、近衛将監等を歴任。神護景雲3(769)年道鏡を皇位につけようとする宇佐八幡宮神託事件に際し、広虫の代わりに宇佐八幡宮に派遣され、宇佐八幡宮の信託をうけてこれを阻止した。そのため、姓名を別部穣麻呂と改められて大隅国に配流された。宝亀元(770)年、光仁天皇の即位に伴い召還、本姓名を回復する。桓武天皇にも仕え、摂津職長官、中宮大夫、民部大輔、美作・備前国造などを歴任。造宮大夫として平安遷都にもつくした。 | ||||||||||||||||||||||||||
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