頼山陽らいさんよう
生没年 安永9年?(1781?)〜天保3年(1832) 分類 儒学者

略歴
 大坂江戸掘に頼春水の長男として生まれた。母は頼静子。頼春風、頼杏坪は叙父にあたる。父が広島藩儒となったため、広島に移り、天明8年藩学問所に入学。寛政9年叔父杏坪に従い江戸に遊学し、尾藤二洲}らにまなぶ。翌年帰国し結婚するが、21歳の時広島を出奔。すぐに連れ戻され自宅に幽閉される。幽閉中に「日本外史」を起稿する。文化2年赦免され、学問所の助教。翌年「日本外史」を脱稿。文化8年京都で開塾。「日本外史」は加筆・修正を続け、文政10年、陸奥白河藩主の松平定信に献上。「日本外史」をはじめとする一連の歴史書が幕末の尊攘派に与えた影響は絶大である。
場所 広島県 竹原市 町並み保存地区

場所 広島県 竹原市 町並み保存地区




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