吉田 よしだ松陰しょういん
生没年 文政13年1830〜安政6年(1859) 分類 思想家・教育者

略歴
 長門国萩の椿東松本村に杉百合之助}の次男として生まれる。5歳の時父の弟山鹿流兵学師範吉田家に仮養子にはいり、翌年養父が病死したため家を継ぐ。幼時の教育を父の末弟玉木文之進から受けた。稀にみる秀才振りを早くから発揮し、9歳で家学教授見習として藩校明倫館に上り、10歳にして山鹿素行の「武教全書」を藩主敬親の前で講じた。嘉永元年19歳で独立した軍学師範となり、嘉永3年から諸国を遊学して会沢正志斎、安積艮斎らに従学。嘉永6年から佐久間象山に砲術、蘭学をまなび、国際情勢に目覚めて日本の危機感を深めた。その結果亡命して肥後の宮部鼎蔵らと東北遊歴に出かけ北方の状況を探るが、帰国謹慎。許されて再び上京するが嘉永7年下田沖のアメリカ軍艦で密り失敗。生家に幽閉されるが、安政4年松下村塾をひらき、高杉晋作、伊藤博文ら長州の多くの志士を排出する。安政の大獄で刑死。
場所 静岡県 下田市 三島神社
 

場所 山口県 萩市 吉田松陰誕生地
 

場所 静岡県 下田市 弁天島
 

場所 東京都 世田谷区 松陰神社

場所 山口県 下松市 花岡八幡宮

場所 山口県 防府市 華浦小学校

場所 山口県 萩市 萩往還公園





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