吉村虎太郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
生没年 | 天保8年(1837)〜文久3年(1863) | 分類 | 天誅組首領 | ||||||||||||||||||||||||||||||
略歴 |
土佐国高岡郡津野山郷芳生野の庄屋の長男として生まれる。名は重郷、号は黄庵。高知城下で楠山庄助に学び、弘化4年12歳のときに父の跡を継いで北川村の庄屋となる。文久元年武市瑞山の土佐勤王党に参加。文久2年長州の久坂玄瑞を訪ね、思想的な影響を受ける。帰国後、脱藩して長州に赴き、京都に出て薩摩の志士と行動をともにするも、寺田屋事件に関係して投獄される。文久3年中山忠光を擁して天誅組を組織し討幕の兵をあげ、大和鷲家口で戦死した。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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