吉田 よしだ清成きよなり
生没年 弘化2年(1845)〜明治24年(1891) 分類 外交官

略歴
 鹿児島城下上之園町に生まれる。鹿児島開成所で英学を学び、慶応元年(1865)薩摩藩派遣留学生の一人として永井五百介の変名でイギリスに留学し、ロンドン大学で学ぶ。明治3年アメリカに渡り、銀行保険業務を修得して帰国。明治4年大蔵省に仕える。岩倉遣米欧使節団に理財担当官として随行、外債募集の任に当たる。明治7年特命全権公使として米国に駐在し、条約改正に専念、明治11年関税自主権回復の日米新条約(吉田・エバーツ条約)を締結する。明治15年外務大輔となるが、外務卿の井上馨と意見が合わず、明治18年農商務大輔に左遷。その後は農商務次官、元老院議官、枢密院顧問官等を歴任する。
場所 鹿児島県 鹿児島市 若き薩摩の群像
 




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