依田よだ佐二平 さじへい
生没年 弘化3年(1846)〜大正13年(1924) 分類 実業家・政治家

略歴
 伊豆国那賀郡大沢村の名主の家に生まれる。漢学者土屋三余の塾に学び、江戸に遊学。二一歳で家を継ぐ。足柄県第九区長、静岡県会議員、賀茂・那賀郡長などをへて明治23年第一回衆議院議員。産業の面でも活躍し、明治7年松崎に製糸工場を設立、大正期には大工場にまで発展した。養蚕業にも意を用い、西伊豆の製糸業、養蚕業の開発に努めた。海運業では明治15年松崎汽船会社を創立した。教育の分野では大沢学舎を創設、明治12年仲間と友に豆陽学校(下田北高)を設立する。なお弟の勉三は移民会社晩成社を結成、北海道十勝平野の開拓に尽くし、拓聖と称されている。
場所 静岡県 賀茂郡松崎町 花の三聖苑


 




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