安井 やすい誠一郎せいいちろう
生没年 明治24年(1891)〜昭和37年(1962) 分類 家官僚・政治家

略歴
 大正6年東大卒。内務省に入り東京市社会局長として震災復興にあたる。同郷の宇垣一成朝鮮総督に請われて昭和6年総督秘書官、さらに京畿道知事、拓務省拓務局長など植民地経営のポストを歴任した。戦後の昭和21年厚生次官、次いで官選最後の東京都長官に返り咲き、昭和22年の公選で初代都知事になった。以後昭和34年まで3選12年の在任中、戦災復興や食糧確保に努める一方、首都圏整備法制定の産婆役となり、東京オリンピック誘致も進めた。中央政治と直結の「安井保守王国」は巨大都市づくりに力を発揮した半面、過密と都市公害に拍事をかけ、さらに都庁・都議会・業者の癒着による昭和30年の都庁大汚職の温床ともなった。都知事退任後、昭和35年東京1区から衆院議員に当選(自民党)した。名誉都民。参院議長をつとめた安井謙は次弟。
場所 東京都 府中市 多磨霊園


 




戻る