山内豊信やまうち とよしげ
生没年 文政10年(1827)〜明治5年(1872) 分類 大名

略歴
 南邸山内氏初代の山内豊著の長男。14代藩主豊惇が急死したのち養子となり、嘉永元年15代藩主となる。吉田東洋を起用して藩政改革を実行し、赤字が続きたっだ財政は黒字に転化。幕末の賢侯といわれ、老中阿部正弘のもとで幕政に参与するが、将軍継嗣問題に関与し安政の大獄で隠居謹慎となる。三年の謹慎生活の間に土佐勤王党が結成された。文久2年ゆるされて公武合体に尽力、信頼する吉田東洋を暗殺した土佐勤王党を弾圧し、盟主武市瑞山らを処断。慶応3年坂本竜馬の献策になる大政奉還を建白、王政復古で議定となり幕府勢力の温存をはかるが失敗。維新後は教育関係に従事したが病気のため職を辞した。酒をこのみ、鯨海酔侯と自称した。著名な容堂の号は藤田東湖の進言によって名付けた。
場所 高知県 高知市 山内神社





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