山内一豊やまうち かずとよ
生没年 天文14/15年1545(1546)〜慶長10年(1605) 分類 戦国武将・大名

略歴
 尾張岩倉城主織田信安の重臣黒田城主山内盛豊の二男に生まる。岩倉城は織田信長に攻められて落城し、その後織田信長に仕える。このころ妻を娶る。天正元年越前朝倉氏との戦の功により近江国唐国四百石を与えらる。この頃より豊臣秀吉に属し、長篠の戦、秀吉の播磨に出陣に従軍し三木城、有岡城、鳥取城攻撃に参加し、備中にも随軍し、高松城包囲戦に加わる。秀吉の旗下として山崎の戦、亀山城攻撃、柴田勝家軍の追撃戦、小牧の役に従軍するなどして、近江国長浜城主となる。小田原征伐の後遠江掛川城主。慶長5年関ケ原の戦いの功により、土佐高知藩主山内家初代となる。高知城をきずき、浦戸一揆を鎮圧し、一族重臣を配して支配体制をかためた。
場所 高知県 高知市 高知城


  




戻る