山村新治郎(11代) | |||||||||||||||||||||
生没年 | 昭和8年(1933)〜平成4年(1992) | 分類 | 政治家 | ||||||||||||||||||
略歴 |
千葉県佐原市に米穀商を営む家に先代山村新治郎の長男として生まれる。旧名は直義。父の山村新治郎(衆議院議員)の秘書をつとめる。昭和39年、父の死去に伴い新治郎の名を襲名し補選に立候補、初当選する。運輸政務次官、第2次中曽根内閣の農水相、宇野内閣の運輸相を歴任。平成4年予算委員長となるが、自宅で次女に刺殺される。運輸政務次官在任中の昭和45年におこった赤軍派学生による「よど号ハイジャック事件」では、一般乗客の身代わりとなり、事件を処理したことで知られる。 | ||||||||||||||||||||
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