山県有朋 | |||||||||||||||||||||||
生没年 | 天保9年(1838)〜大正11年(1922) | 分類 | 軍人(陸軍元師)・政治家 | ||||||||||||||||||||
略歴 |
足軽の長男として萩に生まれる。京都探索の後、松下村塾に学ぶ。文久3の馬関攘夷戦に加わり、高杉晋作が奇兵隊を創るとただちに入隊し、軍監となる。英仏米蘭四か国連合艦隊の上陸兵と下関前田で戦って負傷。慶応2年四境の役では、豊前小倉口で奇兵隊を率い小倉藩を破った。翌年5月京都の薩摩屋敷で西郷隆盛や大久保利通と討幕の謀議を進めた。明治元年奇兵隊を率いて入京し、閏4月越後高田に出陣、長岡城や会津若松城を攻略する。陸軍、政界に君臨し、内政、外交に絶大な発言力を発揮した。 |
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