山田長政 やまだ ながまき
生没年 天正18年?(1590?)〜寛永7年(1630) 分類 貿易商人・武将

略歴
 駿河国(静岡県)に生まれる。通称仁左衛門。若い頃は沼津城主の駕籠かきを勤めたといわれ、慶長17(1612)年ごろ朱印船でシャムに渡る。アユタヤ(Aythia)郊外にあった日本人町の頭領となり、また日本人義勇軍の長として内戦・外征に功があった。対日交易につくし、国王リンクムの信任を得、最高の官位オーヤ・セーナビモクを授けられた。国王の死(1628)後、王位継承の内乱に関与し、最高の官位にのぼり、リゴール王となった。しかし王位を狙うオーヤ・カラホムによって左遷された。パタニ軍と戦闘中に負傷し、傷口に毒をぬられて死亡したと伝わる。長政の死後、アユタヤの日本人町も焼き打ちされ、日本人勢力は一時的に衰退した。
場所 静岡県 静岡市 山田長政屋敷跡
 




戻る