毛利重就 | |||||||||||||||||||
生没年 | 明治14年(1725)〜昭和17年(1789) | 分類 | 大名 | ||||||||||||||||
略歴 |
長府藩6代藩主毛利匡広の10男。享保20年長門府中藩主8代となるが、毛利宗広の死去で寛延4年宗家をつぎ、長門萩藩主毛利家7代となる。藩中興の名君とされ、倹約令を発して自ら範を示すとともに撫育方を新設し、宝暦検地による増収(四万石)を別途会計で運用し干拓、塩田開発など積極的な殖産興業につとめた。明治維新で毛利氏が国事に貢献するための軍事費の多くはこの撫育方の資金によって賄われた。明治四十一年四月従三位を贈られた。名は当初「しげなり」とよんだ。 |
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