毛利元就 | |||||||||||||||||||
生没年 | 明応6年(1497)〜元亀2年(1571) | 分類 | 戦国大名 | ||||||||||||||||
略歴 |
安芸郡山城(広島県吉田町)に室町幕府御家人毛利弘元の次男として生まれる。大永3年(1523)家督をつぐ。大内義興の配下に入り、安芸中央部をほぼ統一した。天文15年、隆元に家督を譲って隠居するが実権は掌握、芸備両国を義隆から預けられて事実上大名化する。天文19年3男隆景を小早川家の入婿とし、次男元春を吉川家督に据えて芸備支配を磐石とした。天文20年8月、義隆が陶晴賢に滅ぼされると晴賢に従ったが、天文24年(1555)厳島の戦いで撃破。ついで大内義長、尼子氏を討ち、中国全域を支配する戦国大名となった。息子3人にあてた教訓状で有名。 |
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