本木昌造 もとき しょうぞう
生没年 文政7年(1824)〜明治8年(1875) 分類 通詞・技術者

略歴
 長崎に生まれ、母の実家であるオランダ通詞本木昌左衛門の養子となる。通詞のかたわら西欧の諸技術に関心を持ち、特に活字製造、印刷技術を研究し、嘉永4年には、自ら製作した鉛活字と輸入印刷機によって自著『蘭和通弁』を印刷した。長崎と下田においてロシア使節プチャーチンの通訳をし、伊豆戸田でのロシア艦建造に関係し、西洋造船術も習得した。明治2年アメリカ人技師ガンブルをまねいて活字鋳造に成功。翌年長崎に民間初の活版所をひらいた。明治4年、門人の平野富二を用いて東京神田に活版所支場を設置した。
場所 大阪市 天王寺区 四天王寺北墓地


 

場所 長崎県 長崎市 長崎公園


 




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