黙子もくす如定にょじょう
生没年 万暦25年(1597)〜明暦3年(1657) 分類 僧侶

略歴
 姓は陳。道号は黙子、如定は法諱。江西省建昌府建昌県出身。揚州の興福神院で出家する。寛永9年に来日し、長崎の興福寺にはいる。寛永11年、長崎の酒屋町と西古川町の間に明式石橋の嚆矢であるアーチ形石橋(現在の眼鏡橋)を架設する。寛永12年、興福寺第2代住持となり、講堂の建立に着手。以後、巨鐘の鋳造、講堂・山門・経蔵の建立など、伽藍の発展に尽くした。正保2年、興福寺裏山の東廬庵に退休する。隠元招請を行っていた逸然に協力し、渡来した隠元や木庵と親しく交流している。
場所 長崎県 長崎市 中島川石橋群
 




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