三浦梅園 みうら ばいえん
生没年 享保8年(1723)〜寛政元年(1789) 分類 庄屋・哲学者

略歴
 豊後国国東郡富永村の庄屋で、代々医を業とした三浦家に生まれる。名は晋、号に攣山、洞仙、東川居子、二子山人などがある。16歳の時から約一年間、杵築城下の綾部絅斎に学び、ついで中津藩の藤田敬所の下に遊学する。から養嗣への求め受けるがこれを断り富永村に帰郷。終生仕官することなく独創で天地造化の「条理」をきわめ、梅園三語とよばれる「玄語」「贅語」「敢語」を説き、経済学の先駆的業績といわれる「価原」などをあらわす。天明6年に藩主に富国への政治的建策を示した「丙午封事」を提出しする。このなかで相互扶助を説いた「慈悲無尽講」を郷里富永村などで実施され、大きな成果をあげている。
場所 大分県 大分市 大分県立図書館



場所 大分県 東国東郡安岐町 安岐町役場


 




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