源義家 | |||||||||||||||||||||||
生没年 | 長暦3年(1039)〜嘉承元年(1106) | 分類 | 武将 | ||||||||||||||||||||
略歴 |
源頼義と平直方の娘の長男。石清水八幡宮で元服し八幡太郎と称す。前九年の役で父とともに活躍,天喜5年(1057)の黄海の戦で大敗したとき、父頼義が敵に包囲された際、義家の騎射によって危地を脱したという。康平5(1062)年、同乱が平定されると、功により従五位下出羽守となる。その後も源国房、藤原基通、源重宗等を追討、永保3年(1083)、陸奥守に就任。後三年の役で清原氏の内紛に介入。朝廷の停戦命令を無視するなどしたため恩賞を与えられず、一族の不祥事が続く。天下一の武勇の士とされ多くの伝説が残る。 |
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