松本十郎まつもとじゅうろう
生没年 天保10年(1839)〜大正5年(1916) 分類 庄内藩士・官吏

略歴
 鶴岡新屋敷に生まれる。17歳から藩校致道館に学び、文久3年に従って蝦夷地西海岸に警衛士として赴任する。慶応3年江戸市中取締の任に当たり赴任、合い間に昌平黌に通う。戊辰戦争では二番大隊に属して参戦。庄内藩降伏後松本十郎と名を変える。明治2年黒田清隆の推挙で北海道開拓使判官、同6年には大判官となって、初期の開拓行政に手腕を発揮した。原住民の信用を得て「アツシ判官」の異名をとるが、アイヌの人権擁護を主張して開拓長官の黒田と意見が合わず職を辞して鶴岡に帰る。自費で戊辰戦争戦死者の招魂碑を建立する。
場所 山形県 鶴岡市 大宝館




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