松森胤保まつもり たねやす
生没年 文政8年(1825)〜明治25年(1892) 分類 出羽松山藩付家老・博物家

略歴
 鶴岡の庄内藩士長坂家に生まれる。のち松森に改姓。致道館に学び、39歳で支藩松山藩の家老となり、幕末の江戸薩摩藩邸焼き打ちや戊辰東北戦争で同藩兵を指揮する。維新後、松嶺藩大参事、松嶺開進中学校長などをつとめる。物理学、博物学、考古学を研究、著書700冊に達し、飛行機を考案するなどの多才ぶりは驚異とされた。また独自の進化論を説いたことで注目される。主著は『両羽博物図譜』。
場所 山形県 飽海郡松山町 松山町歴史公園


 




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