松平慶永 | |||||||||||||||||||
生没年 | 文政11年(1828)〜明治23年(1890) | 分類 | 大名 | ||||||||||||||||
略歴 |
田安斉匡の8男として、江戸田安邸に生まれた。十一代将軍家斉は伯父にあたる。天保9年越前福井藩主松平斉善の病没後、幕命によりその養子となり、家督を相続した。中根雪江・橋本左内など有能な家臣を登用して藩政改革・学問の振興をすすめ、すぐれた治績をあげた。将軍継嗣問題では一橋慶喜を擁立し、国の難局を打開しようとしたが、安政5年大老井伊直弼と対立して隠居謹慎となる。文久2年、許されて隠居のまま復帰し、政事総裁職に就任して公武合体につとめる。元治元年京都守護職、明治2年民部卿兼大蔵卿。明治3年すべての公職を辞した。号は春嶽、礫川など。 |
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