松平容保まつだいらかたもり
生没年 天保6年(1835)〜明治26年(1893) 分類 大名

略歴
 美濃高須藩松平(尾張)義建の6男。弘化3年伯父にあたる会津藩主松平容敬の養嗣子となる。嘉永5年18歳で家督相続。翌年ペリー艦隊の浦賀来航、品川第二砲台、安政6年東蝦夷警備に派兵。文久2年京都守護職につき、公武合体を推進。八月十八日の政変では薩摩藩と同盟して尊攘派の七卿を長州へ追放。蛤御門の変でも薩摩と協力して長州勢を敗走させる。鳥羽伏見の敗戦後江戸に帰還。江戸無血占領後会津に帰国して謹慎し恭順を嘆願したが許されず、会津戦争勃発。若松城下は兵火で全焼し降伏開城した。明治2年に家名再興。明治13年日光東照宮宮司となった。
場所 福島県 会津若松市 愛宕神社




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