町田久成 | |||||||||||||||||||
生没年 | 天保9年(1838)〜明治30年(1897) | 分類 | 薩摩武士・内務官僚 | ||||||||||||||||
略歴 |
鹿児島城下に、日置石谷領主町田少輔久長の長男として生まれる。安政4年(1857)江戸の昌平黌で学び、平田篤胤の門に入る。元治2年(1865)藩命で開成所学頭として上野良太郎と変名して渡英。慶応3年(1867)帰国し、外国事務局判事、外務大丞、文部大丞などを歴任。明治8年内務省にうつり博物館設置を建言。内務省博物局長として博物館創設につくし、初代帝国博物館館長となる。明治18年元老院議官となるが、仏門にはいり剃髪、諸国行脚の後、近江三井寺光浄院の住僧とる。 | ||||||||||||||||||
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