益田 ますだ右衛門介 うえもんのすけ
生没年 天保4年(1833)〜元治元年(1864) 分類 萩藩永代家老

略歴
 名は親施。萩藩永代家老一万二千六十二石の益田元宣の二男に生まれる。兄、ついで父が没したため、17歳で家督を継ぐ。吉田松陰の兵学門下。安政3年24歳で当職(国家老)から同5年当役(江戸家老)に転じ、藩主敬親を輔けて公武周旋に努めた。文久3年京都にゆき攘夷親征を建議したが、八月十八日の政変で京都を追われた七卿とともに帰藩。元治元年禁門の変で破れ、第1次幕長戦争の際の降伏条件として、同年11月11日切腹を命じられた。
場所 山口県 阿武郡須佐町 笠松神社
 




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