益田兼尭ますだ かねたか
生没年 生年不詳)〜文明17年(1485) 分類 室町時代の武将

略歴
 石見の豪族益田兼理の子。永享3(1431)年に父、兄と相次いで没したため、急遽家督を相続。室町幕府の命に従い畿内、中国、九州、四国各地を転戦。寛正1(1460)年ごろ幕府引付衆の一員に列せられる。翌2年家督を嫡子貞兼に譲る。応仁の乱では、貞兼が大内政弘、陶弘護と結んで山名宗全方の西軍に属す一方、兼尭は足利義政の命に従って細川勝元方の東軍に属することで乱後の一族の安定を図った。晩年は七尾城麓の大雄庵に住み、雪舟とも交友があった。
場所 島根県 益田市 妙義寺


 




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