増田平四郎ますだへいしろう
生没年 文化4年(1807)〜明治25年(1892) 分類 新田開拓者

略歴
 伊豆三島宿(静岡県三島市)に生まれ、駿河原宿(静岡県沼津市)の増田家の養子といわれるが、詳細は不詳。駿河浮島沼(浮島ケ原)の干拓と新田開発のため排水路建設を計画し、弘化3年(1846)から慶応元年(1865)まで12回に渡り韮山代官所に対して出訴、江戸の勘定奉行や老中に駕籠訴を6度行った末、ようやく幕府の許可を得て工事に着手する。二年半かけて排水開削工事を行い、明治2年ようやく竣工したが、その年の高波で破壊された。身延山久遠寺の援助を受けて引き続き工事を行うが、これも失敗に終わる。
場所 静岡県 富士市 柏原(排水路工事跡)
 




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