真木和泉  まき  いずみ
生没年 文化10年(1813)〜元治元年(1864) 分類 久留米藩神官

略歴
 筑後久留米の水天宮神官真木左門の長男。国学を宮崎信敦に、漢学を崎門学派の宮崎国綸に学ぶ。天保3年従五位下和泉守に叙任される。天保15年水戸遊学に出発、帰国すると村上量弘らとともに天保学連(水戸学信奉者の集まり)を形成。藩主頼永に藩政改革の意見書を提出し、久留米藩政改革をめざしたが失敗、幽閉の身となった。幽居山梔窩で読書と子弟の教育にあたる。尊王の志士と交友を結び文久2年脱藩。討幕運動に奔走するが、禁門の変に敗れ、同志十六人とともに天王山に自刃。
場所 福岡県 久留米市 水天宮

 




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