細川ガラシャほそかわ がらしゃ
生没年 永禄6年(1563)〜慶長5年(1600) 分類 キリシタン

略歴
 明智光秀の二女。16歳のとき織田信長の媒酌で細川忠興と結婚。天正10年本能寺の変が起ると、丹後国味土野(京都府竹野郡弥栄町三土野)に幽閉される。天正12年豊臣秀吉に許されて復縁し大坂玉造の細川邸に帰参。高山右近らの影響で、忠興の九州出陣中の天正15年に受洗。細川邸に連れ戻され、外出を禁じられた。教会に物的援助を与えるとともに、自らキリスト教の書物を翻訳して侍女らに読み聞かせ改宗につとめた。関ケ原の戦いに際し、石田三成方の人質要求を拒否し、家老の手で命をたった。

場所 大阪府 大阪市中央区 聖マリア大聖堂
 




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