本多庸一 | |||||||||||||||||||
生没年 | 嘉永元年(1848)〜大正元年(1912) | 分類 | 宗教家・教育者 | ||||||||||||||||
略歴 |
弘前藩諸手足軽頭の長男に出生。慶応元年に手廻組士として出仕し、藩校司監(学生取締)に任命された。戊辰戦役では庄内軍に身を投じ、西郷従道隊と交戦した。奥羽戦争終結後、帰藩。箱館戦争では青森湊にあって参謀を勤めた。明治3年、藩命により横浜に留学して英学を学び、キリスト教を知って入信する。明治7年郷里にかえって東奥義塾の創設に参画して塾長。弘前公会を創立。自由民権運動にたずさわり、青森県会議員に当選、同議長をつとめたあと教育と伝道に専念。アメリカ留学後、青山学院院長などを歴任し、日本メソジスト教会初代監督となった。 | ||||||||||||||||||
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