本多忠勝 | |||||||||||||||||||||||||
生没年 | 天文17年(1548)〜慶長15年(1610) | 分類 | 戦国武将・大名 | ||||||||||||||||||||||
略歴 |
三河額田郡西蔵前村に本多忠高の長男として生まれる。生まれた翌年に父が戦死したため、叔父の本多忠真のもとで育てられる。徳川家康につかえ、永禄3年の初陣から40年間、家康の側近として五十数回の戦闘に参加し、一度も傷を負わなかったという勇者。徳川四天王の一人にかぞえられる。天正18年家康の江戸城入城にともない、上総大多喜城10万石を領する。関ヶ原の戦の恩賞として慶長6年伊勢桑名城10万石へ移封。 | ||||||||||||||||||||||||
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