帆足万里ほあし ばんり
生没年 安永7年(1778)〜嘉永5年(1852) 分類 日出藩家老・儒者

略歴
 日出城三の丸の役宅で日出藩の家老の子として生まれた。博視強記で和・漢・洋の学に通じた希に見る天才。脇愚山にまなび、亀井南冥、皆川淇園らとまじわる。26歳で子弟教育をはじめ多くの逸材を輩出する。天保3年55歳のとき、藩主木下俊敦に請われて家老職を勤め藩政改革を行った。独学で蘭学をおさめ、「窮理通」をあらわす。弘化4年70歳のとき、妻と門弟数人を連れて脱藩、上京する。藩主俊方をはじめ藩重役の帰藩勧誘の結果、翌嘉永元年3月になって帰藩。明治45年に従四位を追贈された

場所 大分県 速見郡日出町 日出小学校
 




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