母里 ぼ り太兵衛 たへえ
生没年 弘治2年(1556)〜慶長20年(1615) 分類 福岡藩重臣

略歴
 本姓は曾我氏。播磨国に生まれる。幼時より黒田家に仕える。中国・四国陣にはつねに孝高の先手を勤める。朝鮮の陣においては、後藤又兵衛・黒田美作とともに先手を勤める。関ヶ原の戦いに際しても、栗山備後とともに策をめぐらし、孝高・長政の室を救出して無事中津に下し、孝高に従って諸城を攻める。筑前入国後は一万八千石を拝領して、古手郡鷹取城主。後藤又兵衛の脱藩後は嘉麻郡大隈城を預けられる。京都伏見の福島正則の屋敷の酒宴において大杯の酒を飲みほし、正則が豊臣秀吉から拝領した秘蔵の槍「日本号」を得て持ち帰った逸話で知られ、のち黒田節にうたわれた。

場所 福岡県 福岡市中央区 光雲神社
 




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